【現在】優秀な人たちがいくらでもなりたがっている

テレビで、全盲・片手なしの障碍者が、高校の世界史の先生をしていると紹介されていました。

最初は、教員採用試験の点字での受験が想定されておらず、大阪市教育委員会と一年間の交渉を経て、点字による受験を受験を認めさせたそうです。

しかし結果は、「正規採用の口がない。非常勤講師になら採用してもいい。」

これについても、粘りに粘って、正規採用を勝ち取ったそうです。

高校教師という仕事に使命感を持った、いい先生になったことだろうと推察します。

一方で、昔から、私に「高校教師になれ」という人が後を絶ちません。

特に、学校関係者に目立ちます。

私のどこが高校教師に向いているのか、詳しく聞いてみると、私のことを理解していないことが浮かび上がって来ます。

「子供が嫌いって感じがする。」

何を言うのでしょうか、私は休み時間に子供と遊ぶのが至福の時間です。

「伝えたいことがあるのなら、中学・高校教師になられた方が。」

意味不明、私が「~を伝えたい」と述べてそれに対して「それなら中学・高校教師の方が」と言うのなら分かりますが、この人は私がある特定のことを伝えたがっていると思い込んでいたのです。

「高校生くらいの、もっと大きい子と関係を作って。」

関係を作りたいと感じていません、私にとって高校時代は最悪時代、私は中学時代の真ん中くらいには「小学生に戻りたい」と感じていました。

「小田先生が小学校なんて考えられない、『揺れる心を上から』の方が。」

「体は大人、心は子供」の「揺れる心」の相談には、私よりも既婚の幼稚園の男の先生の方が乗れると思います。

そうして、「私に高校教師になれ」と言う人たちは、私が黒板を愛することを望んでいません。

生徒を愛することを望んでいます。

挙句の果てには、「高校生の方が年齢が近いから。」

愚かですね、小学校6年生は私と43歳違いですが、高校1年生も、私とは39歳も年齢が離れているのです。

中学・高校は、自分が得意な教科だけで勝負できます。

特定教科が満点、別の特定教科が零点、などという私のようなタイプには、採用面でも評価面でも小学校が不利であるということは確かに言えるのですが、「高校生のいいお兄さんになってあげてね」と言わんばかりの人たちは、私を見ているのではなく、私のイメージを見ていると言わざるを得ません。

小学校教員に比べて、高校教師の倍率は高いです。

専門的だけあって、腕に覚えのある人ばかりが集まります。

安定した現金収入を得るためにだけ、私が高校教師を志願したら、冒頭に述べたような、障碍者先生の席を奪うことになることくらい分からないのでしょうか。

【現在】【過去】家系は社会階層の再生産機構

私の祖母(1901~1992)と共にいます。

私は3歳、この従兄も3歳です。

この従兄の家には、翌年、第二子が誕生しました。

女の子でした。

この女の子は、20数年後、自分の父親と同じような、サラリーマンの男性に嫁いでいきました。

この女の子の父親の葬儀で、この女の子の長女・当時小学校2年生と、長男・当時幼稚園年少とに出会いました。

しかし私は、すっかりこの長男から嫌われてしまったようです。

2010年のこと、明星大学の高橋教授から言われて、この女の子の子供たちにEQテストを取らせてもらいました。

すると、長女の感情は安定しているのに、長男の感情は、怒りの方向に傾斜しているのです。

分かりました。

葬儀での私の第一印象が悪く、長男は、私のことを思い出すと、腹が立ったのです。

長男は、その後、栃木県の公立トップの県立宇都宮高校に入り、東北大学か筑波大学を志望しているそうです。

小田家は、一般に高学歴になる傾向があり、私の父の兄弟6人も、全員大学を出ています。

私の父の妹(長男の祖母)は、長男について、「勉強はできていたようだけれども」と謙遜していました。

謙遜しなくとも、できるものはできるのですから、「まぁ、トップクラスかな」とにこにこしていれば良かったのです。

大体の人間は、勉強ができる人間に、頭を低くします。

満足ですね。

社会学の授業で、「家系は社会階層の再生産機構である」と習いました。

【過去】【現在】ボールを渡してもらえた、それで私は幸せ

東名高速道路は、まだ開通していません。

車で東京から滋賀県に向かうには、一旦河口湖で休憩しなければなりませんでした。

私は3歳です。

水分補給に、夢中になっています。

左隣にいるのは、私の父の妹の息子、つまり私の従兄です。

写真機がこちらを向いているものだから、私に注意を促しています。

従兄が生まれたのは、私より42日早いに過ぎません。

この従兄は、現在、日本電子の社員であり、部長の地位にいます。

軍隊の階級で言えば、会長が元帥、社長が大将、部長が中将に当たると言えるでしょう。

先進国・日本の大企業の部長。

しかも部長ともなれば、自分のことだけではなく、大の大人を何百人と率いています。

更に、その大の大人たちには、奥さん・子供など、何倍という扶養家族が存在しているのです。

部長は、部下だけでなく、その家族の生存にも責任を負っているのです。

良く言えば貫禄がある、悪く言えば威圧感がある、そういう将来の日本電子の部長が、私の肩に手を掛けています。

私は、非常勤の小学校教員。

教員の世界では、二等兵に当たります。

自分の弱点を晒すことなく、30人の小学校6年生たちから納得してもらえばそれでいいのです。

今日の中休みも、バトルボールをしていたら、6年生のZ君が、私を無視することなく私にボールを渡してくれました。

私は、小学校6年生から認めてもらえたことに、至福の喜びを感じています。

【現在】翻訳作業

これ以上、本をスキャナーに押し付けたら本が壊れてしまうため、左頁が斜めになって申し訳ありません。

関東学院大学の『KGI論文集』に投稿するため、この本の第二章を翻訳しました。

指導教員から、更に「結び」を翻訳するよう指示され、約3600字を2時間半掛けて翻訳しました。

孫さんは、「韓日関係の現在と未来を永遠の『交隣関係』で率いらなければならないという歴史的な絶対性」(原文、韓国語)という一文で、本書を締めくくっています。

倭館占領事件と、それに引き続く征韓論の台頭を、孫さんは、涙、涙、で語っています。

ただ、日本が、第二次世界大戦後に、朝鮮半島に成立した二つの近代国家と、友好関係を結ぶのは難しいのではないかな、と私は思っています。

そもそも、日本の敗戦を前提に成り立っている国だからです。

日韓交流を進めれば共通理解を得られると考え、留学生交換などの事業をしている団体もありますが、韓国人が韓国内で親日的な意見を述べれば、売国奴呼ばわりされることがあるわけですから、それにも限界があるでしょう。

中国にオリンピックを開催させれば、中国も西側の価値観に馴染み、いずれは対話ができるようになるのではないか、と考えるのと同じことのように思えます。

日本に、朝鮮半島に成立した近代国家と友好関係が結べる機会があるとすれば、朝鮮半島で戦後(第二次世界大戦だけでなく、朝鮮戦争も)が終わった時だと言えるでしょうね。

【現在】博士論文のテキスト

一見して、外国の本だとは分かりません。

標題が、東アジアの英語である漢字で書いてあるからです。

近代の到来により、東アジアは漢字という共通の文化遺産を喪失しました。

著者の孫承喆さんは、韓国・江原大学校史学科の教授であり、韓日関係史学会第2代会長でもあります。

【現在】【過去】下着姿で外に出るようならば、赤ちゃんか知的障碍者かアルツハイマーだ

昨日、勤務校で2学期の始業式があり、5年生男子から、「小田先生の個人ブログを見た」と報告されました。

「小田先生の個人ブログの中で、何が印象に残った?」と質問したところ、「縞々、下着、家の中…」と印象に残ったことを断片的に語ってくれました。

縞々のTシャツは、写真を見ての通り、私は小学校5年生の夏休みによく着用していました。

家の中、というのは、自宅の中で写真を撮る機会はなかったので、恐らく鶴川団地の親戚の家で写した写真のことなのだろうと思います。

問題は、「下着」。

赤ちゃんではあるまいし、下着姿のまま写真を撮ることはないと思うのですが、この写真がそれに当たるのではないでしょうか。

関西大学社会学部の山本教授によれば、1964年東京オリンピックの直前に、スポーツ衣料品メーカーの営業社員が、日本女子バレーボールチームに密着型ブルマーを奨めたところ、「こんな下着みたいなものを穿けない」と断られたそうです。

ただ、私はこの時下着姿で外を歩いているつもりなど全くなく、ズボンの下にきちんと白ブリーフを穿いていました。

【過去】縞々、小学校5年生、下着…?

鶴川団地の親戚の家に着いたものの、従兄はすぐそこに出掛けているらしく、私は従兄をバス通りまで探しに行きました。

翌朝、青い車の向こうのフェンスの裏にある児童公園から、ラジオ体操の音が聞こえて来ました。

社交性の高い小学校5年生なら、飛び入り参加したりもするのだろうなぁと考えました。

【現在】そうして、三芳町役場

三芳町役場が見えて来ると、緑地巡りもおしまいです。

まるで、どこかの私立病院が、入院患者を募集する時に使うポスターに載っているような建物です。

二市二町合併の議論が進んでいた時に、上福岡市は、市庁舎が遠くなることを承知した上で、「合併後の市庁舎は現在の三芳町役場に」と述べていました。

市域が狭いにも拘らず、商業地域が広い上福岡市は合併を必要としており、反対論が強い三芳町に譲歩していたのでした。

しかし、住民投票の結果は、三芳町のみが、投票率が過半数に達し、しかも合併反対が多数でした。

当時の三芳町長が、「三芳町は独立独歩で行く」と宣言し、私は三芳町の排他性を浮き彫りにしたと感じました。

三芳町は、町工場や倉庫から上がって来る固定資産税により財政が潤沢で、不交付団体であるため、合併の必要性がないと言っています。

私はそれ以外に理由があると思っています。

明治以来の、地域社会のメンバーを変えたくないのです。

鶴瀬駅の西口開発が進んでいた時、最後まで土地買収に応じなかった三芳町側の農家が、富士見市側の鶴瀬駅に背を向け、三芳町側の川越街道に正面玄関を向けているのを見て、それを感じました。